ご挨拶
Dr.Saiデンタルクリニックのホームページをご覧頂きありがとうございます。
院長の 蔡 豪倫(さい たけとも) です。
これまでの静岡県市立島田市民病院の歯科口腔外科部長を経て同病院との連携のもと、 専門分野である口腔外科・インプラント分野における更なる医療品質の向上、及び、専門治療を受けられた後の徹底した予防メンテナンスによる健康維持・健康増進を目指し、この島田市に独立した医院を開院いたしました。
市民病院の長所と開業医の長所を活かし、地域の患者様により高いQOL(生活の質)を獲得していただき、地域の健康寿命を延ばすこと、そして、この地域の未来を担うお子様の健康を育むための小児矯正を始めとする先進歯科医療をご提供することが、私たちの役割であると考えております。

私どものクリニックでは、ただむし歯や歯周病を治すのではなく、まず現状を精密な検査・診断により正確に把握し、これからの未来に対する歯の喪失リスク・口腔細菌による全身疾患リスク等をなくすための包括的な治療計画を立案して治療を行います。
患者様お一人お一人が自信をもって健康といえるお口を手に入れていただく。
そんな医療を実現する診療体系・診療システムを構築しているため、初めて来院されて通常の歯科治療をイメージしてこられる患者様には驚きがあるかもしれません。
私たちが考える「患者様のために」という言葉。
私たちは、「患者様の “未来に持続する健康を獲得していただく” ために」Dr.Saiデンタルクリニックをつくりました。最高品質の医療を目指す上で、私たちは妥協のない検査・診断を行い、妥協のない治療計画を立案し、妥協のない治療を目指します。
そのため、一般的な歯科治療に比べ、お時間や期間がかかることがあります。もしかすると、ご自身の健康よりも、今の時間を優先される方には、当院は不向きなのかもしれません。
しかしながら、これから一生涯、ご自身の歯を健康な状態で維持し続けたい。
ずっと、白く美しく、人から羨ましいと感じられる歯を守り続けたい。
一生涯に渡って健康で幸せな生活を続けたい、というお考えをお持ちいただいている方にとって、最高のご満足をご提供できるクリニックであると自負しております。
妥協した医療ではなく、常に最高を目指す医療を。
そして、健康と共に、最高の美しい口元を手に入れることで、あなたの人生を変える歯科医療を。
当院が、地域の皆様の健康と幸せに貢献し続けることで、地域社会が活性化することを願っております。
院長 蔡 豪倫 拝
経歴・保有資格・登録学会等

歯科医療に対する私の想い
野球に没頭した少年時代。
そして、歯科医師を目指し大学へ。
野球を小学校の頃から行なっていて、あまり勉強はしませんでした。高校でも野球を続けており、のめり込んでいました。
野球を通じて、組織づくり、決して強くはなかったが、なにかに打ち込むことの大切さを学びました。
そうしている内に担任の先生に歯科医師になってみたらとすすめられました。
親戚の中にもその大学の卒業生もいたことがあり、進学を決意。親戚に医師が多く、小さいときに医者や歯医者になると口にしていたことを思い出し、機会があるならチャレンジしてみようと思うようになりました。
当時はコンピューター関係に進みたいと思っていましたが、父と話しをしていると、「コンピューターは卒業してからでもできる」と話を訊き、まず大学へ行って勉強することを決めました。
大学に入ってみて、基本的に細かな作業が好きな自分に気づき、実習などを通じて、他の生徒より早くこなすことができることに自信をもつようになりました。
ただ、それまで勉強は好きではなかったため、身体を動かす方がスキだったのですが、歯学部に入った以上勉強しなければいけないという思いがつよくなり、逆に人以上に勉強にあけくれるようになりました。
国家試験対策院(国家試験対策)のリーダーとして抜擢され、気づいてみると学内では学習の先導者となっており、卒業後、大学院へと進むことを決めました。
当時口腔外科の教室には私のあこがれとなる腕利きの講師がおられ、その方から直々に励ましの言葉をいただいたこともあり、私の進学への強いモチベーションを与えてくれました。
当時の私はその方への憧れが強く、研究内容自体を明確に把握していたわけではないのですが、私が所属した研究室は、主に骨牙細胞の研究、すなわち当時は最先端であったインプラント埋入の基盤と成る技術を研究している部門だったのです。
そこで、私は、顎の仕組み、どのように顎の骨が形成され、周りの環境が骨形成には重要であること、インプラントの埋入に対し、ほぼ人間と構造的に変らない動物での臨床研究などを多数経験することになり、骨に対する手術のイロハを下積みとして得ることができたことが、実際に人体でのオペを行なう上での大きな自信と技術面での精度を高める結果につながりました。
大学院卒業後、助手として3年間勤務。
そこで学んだ人を思い遣る気持ちの大切さ。
大学院を卒業後、助手として3年間勤務し、その間、大学という非常にシビアな症例を経験し、数多くの喜びと失敗を、身をもって経験することになりました。
ある日、他県の方で真夜中に運び込まれた患者さんを急遽担当することになり、満足いく準備ができぬまま、ただその患者さんを助けるために出来る限りの応急処置を行なうことになりました。
当時、他県からこられておられたこともあり、その方の居住地の近隣に著名な歯科医師の方がおられたため、そちらに後日この患者さんの全快を願い、紹介したところ、その時の応急処置の治療の内容を厳しく批判されました。
歯科医師として当時私はまだ若く、持っている知識と技量の範囲で最大限の処置を行なったのですが、当時まだまだ若い自分の勉強不足もあり、状況的に満足できるものを提供できないというジレンマも抱えながら、ただその方の回復を願い施した処置でした。
ある学会発表の場に参加したとき、ある著名な先生が発表している症例を見て、ハッと気づいたのです。
その時、私が担当した患者さんの症例が映し出されていたのです。
それはもちろん、対応前の症例でした。
私はその発表を聴いたとき、心の底から悔しいという思いがふつふつと沸いてきたと共に、口腔外科の治療に対しては、常にトップの知識と技術を身に付けるという決意をしました。
また、ご本人にとっては自分の治療の良さをアピールすることであったとしても、私は本当に傷つくこととなりました。
治療を行なう医師にとっては、常にベストを尽くして行なっていたことです。
そのような人を思い遣る気持ちの大切さを、この経験から反面として学び取ることとなり、私が関わる人々には、常に人を思い遣る気持ちを大切にして接していきたい、スタッフやこれから育っていく若い歯科医師には同じ経験をさせたくないという気持ちを強くもつに至りました。
後日談として、この患者さまが治療を受けられ、健康を取り戻されたということも知り、その時はとてもうれしく思ったものでした。
夜遅くまで様々な症例研究を行ない、私は自分の成長を感じることになります。
大学の中で行なわれる治療の時間は、おおよそ2~3時間かけて行なわれることがほとんどです。
しかし、同じ症例であったとしても、私はかなりの短時間で処置できる能力を持っていたのです。
その技術的スキルの高さを教授に認められ、通常、教授のみが対応していた患者さんの半数を受け持つこととなり、次第に診ることができない症例がない程に自分自身の専門性、知識、スキルが高められることとなっていきました。
助手として勤務を続けていく中で、ふと、天竜にある障害者施設にて歯科を開設するという話が私の所にきました。
そこでは、障害をもつ方々の難症例を数多く受け持つことになること、また一般的な職員の方の治療等も幅広く受け持つことなどが伝えられました。
当時、その施設では外部の開業医から出張で歯科医師を受入れ対応していたのですが、障害者の方の治療というのは単なる歯科治療だけではいきません。
治療をする中で、身の回りの世話や介助も必要になります。
当時、対応していた歯科医院の先生から施設に一通の手紙が届いたそうです。
その手紙の内容としては「私達は歯科治療を行なうために来ているのであり、身の回りの世話をするために来ているわけではありません。早々に対応をお願いします」という内容のものだったそうです。
当時の理事長はこの手紙を読み激怒され、人の心を思い遣ることができる施設を目指し、独自に歯科設備を開設されることを志されたそうで、そのときに私にお声かけをいただけたのです。
更なる経験を積むため、また、理事長の熱い想いに共感した私はこの話を快諾し、天竜の歯科へとうつることになったのです。
障害者施設の歯科へ赴任。
本当の健康を手に入れるためには。
最初天竜に赴任した時、現状把握のため検診業務に回りました。
本当に重度の症例が多く、中には検診中につばを吐きかけられたりしましたが、不思議と嫌な思いはしなかったのです。重度障害者の方の現状を知り、「何とかしてあげたい」という気持ちがより強かったのです。
治療をすすめていくうちに、障害をもっている方の大変さはその時によく分かりました。
そうした皆さんが安心して来院できる歯科医院は少ないのです。
車椅子を一つ取ってみても、「安心して車椅子で来られる医院はここだけだわ」という言葉を頂くことがあり、来院される方の物理的、心理的障壁をとってあげることの重要性を感じました。
また、障害者の方は「ストレートな気持ち」を表現してくれます。
一般の方は気を遣って感情を表に出さないことが多いものですが、しっかりと感情表現してくれる障害者の方の反応が、私が患者さまの気持ちを汲み取るための大切な思いやりを創り上げてくれたと思います。
なんとか守って上げたい、その気持ちを常にもちながら、1人1人に真剣に向き合って施術する歯科医師としての使命を感じることができました。
また、天竜の障害者のかたをみたときに、感じたことは「チーム医療」の重要性です。当時も開設当時から、日々忙しく治療を続けていたものの、ドクターのみの診療体制では施設としても経営状況は芳しくなく、苦しい経営状況を強いられていたのです。
そんななか、しっかりとケアまでできる人材の必要性を感じ、理事長と夜を徹しお話させていただき、重要性を認めて頂き、2人の歯科衛生士を新たに採用することができました。
この2人の歯科衛生士とともに、新しくケアまで実施できる体制を築くことができたことで、人件費がかかるという外部の意見をよそに、経営状況を改善するとともに、患者さんによりよい健康状態を獲得していただけるようになりました。
本当の健康を手に入れるためには、治療が大事なのではなく、いかに健康な状態を維持するか、より健康な状態を手に入れるかにかかってきます。
また、障害者の方に優しくほほえみかけ、来院が楽しくなる対応ができる受付の存在の偉大さもこの時に感じました。
このような環境を築くためには、歯科医師だけでなく、歯科衛生士、受付、チーム一丸となり取り組める組織が必要だったのです。
大学関連施設の市民病院へ。
口腔外科医としての専門性をさらに高める。
このような取り組みの結果、天竜の施設が軌道にのり、素晴らしい組織ができあがった3年後、再度、大学の関連病院の研修施設にて席が空くということで、数多くの症例経験を持つ専門家を招致したいということで、私に声がかかりました。
思い入れがあるこの施設を離れることに正直躊躇しましたが、口腔外科医としての専門性を高めることで、より多くの患者さんを救うことができると考え、口腔外科の専門医資格を取得するために、大学関連施設の市民病院へと戻る決意をしました。
そこでは、一般の開業医では決して診ることができない難しい症例の患者さんばかりが集まってきます。
悪性腫瘍を持つ患者さん、交通事故などのひどい外傷(顎顔面外傷)のケース、その他、専門施設だけが対応できる症例に数多く当たることになりました。
これにより、幅広い症例に対応できるスキルを身に付けることになったのです。
部長が定年になられる際、この病院口腔外科の運営を一手に任すということになり、私が口腔外科部長として就任することとなりました。
現状では地域の歯科医師会から、症例に対してのアドバイスを求められるなど、地域でも最先端の治療を行なうことができる機関としての地位が確立されていきました。
科のトップとして運営するにあたり、徐々に組織の経営方針についても学ぶこととなります。
若い後進を育て、組織としての品質が確立していく内に、今のポジションを後進に譲るとともに、より自分のスキルを多くの待ち望んでいる方に提供したい、また組織の枠に捕らわれず人材を育成し、新たな価値を提供したいという思いが強くなりました。自分の力で開業する際には、これまでの経験をフルに発揮し、多くの人に貢献できる場所でと考えていました。
島田市で場所を探し始めた早い段階で、現在の場所が見つかり、この場所であれば多くの人に貢献でき、後進も育てることができると感じ、即決でこの地での開業を決意しました。
その後、私を支えてくれる数多くの支援者の協力を得ることができ、この地で開業することができました。
これまでの非常に稀少な経験を最大限に役立たせることができるチャンスを手に入れられたことにとても感謝しております。
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